天正十年六月朔於織田右大臣信長公御前百貮拾八手迄
本因坊算砂
鹿鹽利賢
高崎泰策曰 六八、六九の二手恐らくは記入の際に顚倒せしならん四三、四七、四九ほかに手段の要有るべし。
林元美曰 利賢隅の石を取らるゝを見搊じたるものにして而も本因坊の布置を見るに亦前兆と謂ふべし
本局は即ち本能寺に於ける三劫の局として古來家元の秘蔵のする所、然るに今これを見るに三劫とは果たして局中何れの處に於いて生じたるかが遂に上明である。唯先人のこの局に尊して種々と評説を試みる者有るを以て推せば、或いはこれより以後にその形勢を生じたるものであらうか。 それは兎に角古來三劫を生じたる時には無勝負の芇とするのはこの時始まるものであつて、日海利賢と協定したるものが遂にその判例と成つたもの、構成三劫の生ずるを以て上祥事となるものも亦これに因る。 利賢は同じく日蓮宗の沙門、世に利玄と言ふ者は即ちこの人であつて、井上家一世中村道硯の先輩に當る人である。

※棋譜はUNBALANCE 最強の囲碁 2003により作成